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静岡県浜松市(静岡市・藤枝市・掛川市・袋井市)の活結婚相談所ライフパートナーズ代表(認定結婚カウンセラー)の石川優二です♪
本日の「気づきと勇気が貰える恋愛婚活コラム」は、「東京パワースポット紀行と日本仲人連盟本部訪問」をテーマに綴っていきたいと思います♪
東京パワースポット紀行と日本仲人連盟本部訪問
6月21日(月)に東京へ行ってきました♪
目的は、日本仲人連盟本部への訪問とパワースポット巡り
東京についてまずは、湯島聖堂へ
湯島聖堂
徳川五代将軍綱吉は儒学の振興を図るため、元禄3年(1690)湯島の地に聖堂を創建して上野忍岡の林家私邸にあった廟殿と林家の家塾をここに移しました。これが現在の湯島聖堂の始まりです。その後、およそ100年を経た寛政9年(1797)幕府直轄学校として、世に名高い「昌平坂学問所(通称『昌平校』)」を開設しました。
明治維新を迎えると聖堂・学問所は新政府の所管するところとなり、当初、学問所は大学校・大学と改称されながら存置されましたが、明治4年(1871)これを廃して文部省が置かれることとなり、林羅山以来240年、学問所となってからは75年の儒学の講筵は、ここにその歴史を閉じた次第です。ついでこの年わが国最初の博物館(現在の東京国立博物館)が置かれ、翌5年(1872)には東京師範学校、わが国初の図書館である書籍館が置かれ、7年(1874)には東京女子師範学校が設置され、両校はそれぞれ明治19年(1886)、23年(1890)高等師範学校に昇格したのち、現在の筑波大学、お茶の水女子大学へと発展してまいりました。このように、湯島聖堂は維新の一大変革に当たっても学問所としての伝統を受け継ぎ、近代教育発祥の地としての栄誉を担いました。
大正11年(1922)湯島聖堂は国の史跡に指定されましたが、翌12年(1923)関東大震災が起こり、わずかに入徳門と水屋を残し、すべてを焼失いたしました。この復興は斯文会が中心となり、昭和10年(1935)工学博士東京帝国大学伊東忠太教授の設計と㈱大林組の施工により、寛政時代の旧制を模し、鉄筋コンクリート造りで再建を果たしました。この建物が現在の湯島聖堂で、昭和61年度(1986)から文化庁による保存修理工事が、奇しくも再び(株)大林組の施工で行われ、平成5年(1993)三月竣工いたしました。
湯島聖堂は、ほぼ人がいなかったですね…。
建物がとにかく渋い…。
湯島聖堂の次は、神田明神へ
神田明神
神田明神は、東京都千代田区外神田二丁目にある神社。正式名称は神田神社。 神田祭を行う神社として知られる。神田、日本橋、秋葉原、大手町、丸の内、旧神田市場・築地魚市場など108か町会の総氏神である。旧社格は府社。現在は神社本庁の別表神社となっている。また旧准勅祭社の東京十社の一社である。
神田明神は、湯島聖堂から徒歩3分くらいの場所にあります。
江戸の総鎮守として栄えた神田明神は、縁結びや商売繁盛にご利益があると言われています。
明るいエネルギーが溢れる、素敵なお社でした♪
神田明神の次は、湯島天神へ
湯島天神
湯島天神は、神田明神からは徒歩15分くらいです。
湯島天満宮は、東京都文京区湯島三丁目にある神社。旧社格は府社で、現在は神社本庁の別表神社。神紋は「加賀梅鉢紋」。 旧称は湯島神社で、通称は湯島天神。
学問の神様が祭っているだけあって、お子様連れのご家族の参拝者が多かったかな。。。
湯島天神の次は、新宿御苑に行く予定でしたが、休園中でした😢
急遽予定を変更して、何かと話題の国立競技場へ…
国立競技場
国立競技場は、とにかくでかい!!
バカでかい!!!!!!
オリンピックは、いまだにどうなるか分からないですが、外からでも見る価値はありますね♪
国立競技場の次は、明治神宮へ
明治神宮
明治神宮は、5年振りくらいかな…
都内とは思えないくらい、木々が茂っていて、気持ちよいです♪
神宮系は、やはり厳かな気持ちになりますね!
ご神木も立派です♪
清正の井戸を目当てに来られる方も多いですね~
明治神宮の次は、ホテルにチェックインして一旦休憩
全裸監督(笑)
道玄坂のホテルから渋谷駅方面へ歩くと
とっても素敵な宣伝カーが走っていました。
東京は、面白いですね。。。
日本仲人連盟本部
日本仲人連盟本部へお邪魔して、土橋社長と会食
コロナには十分気を付けて、楽しいひと時を過ごさせて頂きました♪
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